三の章  春待ち雀
D (お侍 extra)
 



     雪起こし



 宵が深まるにつれ、癒しの里でも一、二を張る大店の“蛍屋”は、あちこちのお座敷からあふれ出るにぎやかな喧噪にくるまれる。黄昏色の燈火の下、明るい嬌声を煽るは、熟練の腕がかき鳴らす三味線やお囃子のご陽気な声。太夫たちの白いうなじを引き立てる深紅の半襟に錦の打ち掛け。禿
(かむろ)っ子たちが髪に差した花かんざしが燦々と煌き、脂粉の香や酒の匂いが、人々から浮世の辛さ重さを剥ぎ取って、それは容易く一夜限りの夢心地へと誘(いざな)う。
“それだけを思や、此処は一種の桃源郷なのかも知れませんが。”
 金があっての夜遊びだ。入り口が野暮だからいけませんやねと、こっそり肩をすくめた当家の主人。淡い色合いの金の髪を相変わらずの三本のまげに結ってのきりりと引き絞り、なかなかの男ぶりを見せてもいるが、
「…おお、戻ったか。」
 訪のうた離れの一室。数奇屋作りの小粋な寮にて待っていた蓬髪の壮年へ、連れて来た若い衆がわしわしと上がり込んでの衒いなく歩み寄るのを見送りながら、
「勘兵衛様からも言ってやって下さいましな。」
「? 何をだ?」
「久蔵殿ですよ。さっき そこの廊下で、見ず知らずのお客と話し込んでおられたんですよ?」
 お膝を揃え、いかにもな口調で紡ぎ始める“ご注進”は、どう聞いてもどう見ても…どこぞの世話好きな母上の繰り出す、案じが過ぎるお節介を思わせもするから不思議なもの。これでも…当家の屋台骨を支える主人であるのみならず、槍を持たせりゃ負け知らずの、豪腕をほこる元・侍だというのにと思うと、そんな人性を大きに裏切るような細かいことをまで言い出すところが、意外で尚且つ、何とも微笑ましかったりもするのだが、
「見ず知らず?」
 寄って来た連れ合いへとまずは確認を取るよに勘兵衛が訊けば、金髪痩躯の若いのが、無表情のままながら こくりと頷き、その手を無造作に広げて見せる。
「これをもらった。」
 セロファンに包まれた金色の、ころり小さな飴玉で。内面はまだ少々、覚束ない人だってことは重々承知してもおりましたが、それでも、あのですね…と。一応はもういい大人という年頃だのに、こんなものに釣られてどうしますかと、そうと言いつのっているらしき七郎次へ。これはさすがに…と呆れもって賛同するか、はたまた久蔵を庇いがてら、そうそう食ってかかるなと窘めるかと思いきや。

  「ほお、稗田のはちみつ飴か。」

 金色の小さな菓子へ瞠目し、そんなお声を立てた壮年だったので、
「…勘兵衛様?」
 思わぬ反応へ、七郎次が虚を突かれての目を見張る。いい大人だからと言う以前に、甘いものが大の苦手な御主だったことをまだ覚えているからで。あまりに意外なことゆえと、キョトンとしている元・古女房へ、
「これはなかなか珍しい菓子なのだ。」
 勘兵衛もまた、どのような感慨を持たれたかは承知の上で。その精悍で男臭い顔容を鹿爪らしくも取り繕うと、尚の言いようを重ねてみせる。
「ここより西の、稗田というところが産の、純度の高い蜂蜜を固めたあめ玉での。糖みつよりも蜂蜜の方が多いという滋養の高い菓子で、手に持っていても溶けないのに、口へ入れるとそれはまろやかに蕩け出す。」
「…おや、それはまた。」
「そんな製法をもって作られておることから、そこいらの駄菓子屋では手に入らぬ高価な代物。西の街では傷病への見舞い品や立派な贈答品として扱われてもおるのだと。」
 そういう珍しいものだから知っていたと言いたいらしく、
「それにしたって…。」
「ああ。」
 此処で初めての苦笑を浮かべ、自分の傍ら、小さなお膝を揃えて座した連れへと、困った奴だという眼差しを向ける勘兵衛であり。
「まさかに飴一つで攫われるものとも思えぬが、馴れ馴れしい者へは一通りの用心をせねば。」
「何ゆえに?」
「我らはあちこちで相当なる恨みを買っておるからの。」
 よって、思わぬことから害される恐れも思慮に入れねばということだ、と。慎重なことへは問題なかろう相手へ、尚の苦言を呈す彼であり、
「恨み?」
 心当たりがないとばかり、切れ長の赤い瞳を丸ぁるく見開いた久蔵へは、
「逆恨み、ですよ。」
 七郎次が言葉を足した。
「あちこちで斬ったり捕らえたりした、野伏せり崩れの盗賊や野盗やら。今やその全てを覚えていないほどもの数になりましょう?」
 そういった輩は、自分が悪さをしたから追われたという道理なんて知りませんからね。よくも頭目を辱めたなとか親分を捕まえたなと、そういう恨みから勘兵衛様や久蔵殿を狙っているやも知れぬということですよと、齧んで含めるように言ってやると。
「…っ。」
 やっとのこと、おおと合点がいっての手を打って見せる彼だったりするものだから、
「…相変わらず、ですな。」
 その身が危うい脅威に晒されているのだという種の話をしているというのに、この反応。心配した方が度の過ぎる間違いをしているようじゃあござんせんかと、呆れたように吐息を零せば、
「まま、これを攫おうの害しようのということ自体、そうそう叶うこととも思えぬし。」
 こちら様もまた、何をどうと嬉しがっているものか。くつくつと喉を震わせて笑っておられる剛の者。まま確かに、このお人を攫おうと思ったら、よくよく訓練された一個師団でも引き連れてこなくてはおっつかないとは思いますがねと。末恐ろしいながらも一番事実に近いこと、やれやれとの嘆息混じりに思っている七郎次の傍らで、

  「これとは何だ。」
  「お主のことだが。」
  「人を物扱いするか。」
  「されてもしようがない うっかり者よという話をしておったのだ。」
  「なんだと?」

 ちゃんと会話にからんで来るほど、人の話を耳に入れているようにもなった久蔵ではあるのが、七郎次にも嬉しいことではあったので、
「ああもう、膝つき合わせての惚気合いなら、アタシが出てってからにして下さいな。」
 このお人たちはもうと、ひとからげで扱うことも多くなり。わざとらしくも怒ったように声を立てれば、
「シチっ。」
 ぱたたっと大慌てでお膝を立てて立ち上がり、亭主も同じの勘兵衛の大きな上背を邪魔だと押しのけつつ、おっ母様の方へ寄って来る次男坊だという相性は、あんまり変わってはいなかったりし。
(苦笑)

  「もう せぬから。」
  「んん? 何がです?」
  「知らぬ者とは話さぬ。」

 だから怒らないでと、つき合わせたお膝の作る幅さえ遠いことへと焦れるよに、すがるようなお顔になるのが…七郎次にしてみれば、これまた相変わらずのことながら、可愛らしくてしようがなく。

  「そうですよ?
   久蔵殿の見目にだけ惹かれての、
   何としてでも籠絡しようっていう、
   思い違いも甚だしい輩も多いことでしょからね。」

  「???」

 付け足した一節は、本人にはどういう意味だかやはり相変わらず通じなかったようだったけれど。他愛なくも小首を傾げるその姿がまた、何とも稚
(いとけな)くって愛らしく。七郎次の口元へ思わずの苦笑を誘ってやまなかったりし。
“お二人とも、随分と変わられましたよねぇ。”
 侍としてしか、刃のようにしか生きられないと。その矜持や信条のようなものは変わりようがないらしくとも。人との関わりに身を置く余裕や、人へと甘える心の尋など、目に見えて増えたものの何と多いことだろか。互いに影響し合ってのことだろう、善い方向へ前向きにと変わっていかれるのが嬉しい限りだと。しみじみとした吐息をついたおっ母様、何とはなしに視線を流した先、床の間へと掛けられた掛け軸を見やり、あっと小さくお口を開ける。
「…シチ?」
 そんな様子を見逃さなかった久蔵の声へ、くすすと微笑った彼だったのは、
「さっきのあのお客人ですよ。あのお座敷には絵師の方々が集まっておいでだったのを思い出しましてね。」
 この離れに飾られている山水の絵もまたそうであるように。この蛍屋に飾られてある絵画はほとんど、久蔵が旅先で見いだしては持ち込んだ、名のある絵師の名作ばかり。それへと気づいてか、まずは画商の間で評判となり、そこから絵師らも宴の席を設けては足を運んで下さるようになったれど。とはいえ、格式と料金の高い店ゆえに、有名高名な先達と取り巻きか、新進気鋭の売り出し者ででもなければ、足繁く運ぶほどもの常連となるのは無理な相談。
「さっきのあめ玉、珍しい菓子だと仰せでしたが。そんなものをほいと取り出せるような方ではあったみたいですよ。」
 くすすと微笑った七郎次の言に重ねて、
「島田に似ておった。」
 そうと気がついたのは七郎次から指摘されてからだのに、我が手柄のようにして口にした久蔵へ、
「選りにもよって絵師などという風雅な筋には、親戚縁者もおらぬがの。」
 さも愉快そうにお顔のしわを増やして苦笑した勘兵衛であり。そりゃそうだと言いたいか、申し合わせたかのように顔を見合わせた七郎次と久蔵だったのは言うまでもなく。

  “絵師なぞであったれば、俺の側から見初める縁なぞなかったろに。”

 そんなとんでもないことにならなんで良かったと、それは立派なお惚気をその胸中にて転がして。金髪痩躯に血の色もかくやという紅衣をまとい、世が世であれば天主の率いる暗殺集団に属しもしたろう手練れの青年。そうと運びかけていた世界の命運さえ引っ繰り返した、そんな伴侶に惹かれた始まりを思い出し、夜陰に灯りし蛍に向けてのそれと紛らせてのこっそりと、小さく小さく微笑って見せた久蔵だった。






            ◇



 手入れのいい障子をすらり閉めた音が、殊の外響いた訳でもなかろうに、
「おう、島谷。」
 間近い席にいた仲間が、酔いかけだろう呂律の怪しい声をかけて来る。
「何だなんだ、さっきはよ。」
「? 何がだ?」
「誤魔化すな。結構な別嬪と、話し込んでおったではないか。」
 今宵の宴、やっと担ぎ出したものが、早々に酔った酔ったなどとわざとらしくも席を立ちおって。お高く止まるのも大概にせよと、オオバが説教くれてやると立っていって、なのにすぐにも戻って来おって。皆して覗いて見たれば、お前、
「あんな美形と知り合いだったとは。」
「ああ。」
 そのことかと。やっとのことにて話が通じ、せっかく気分がよくなっていたものを台無しにされたその上、白い衣紋の裾を踏まれているのへ、立ち上がれぬではないかと少々眉を寄せたまま。仕方がないかと、絡み癖のある友人の話に付き合うことにしたこの御仁。もしやでもなくの正真正銘、ついの先程、真っ赤な衣紋の若侍殿と話していたところを、当家の主人に水を差されてしまった、勘兵衛様似のお若い殿方。七郎次が思い出したその通り、絵師の集まりばかりで催されていた座敷へと、運んでおられた中のお一人で。
「無口なお人だったから、話し込んでたなんて言われようは心外だね。」
「そうかい?」
 じゃあなんでまた、ああまで長いこと食い下がってたんだね。そうさ、お前さんは退屈が嫌いな、結構勘気の強い奴だってのに。仲間内からそんな揶揄がやんやと飛ぶところを見ると、こちらのお人、結構な癖を持つ人物でもあるらしかったが、まま、そのくらいは芸術家に珍しくもない性。瑕にさえならぬ、一種の癇性みたいなものだろて。言われた当人も特に表情を尖らせるでもなく、くつくつと笑って見せたほど、
「うん。なんてのかね。ああまで隙のない人は初めて見たと思ってね。」
「隙がない?」
「ああ。それで好奇心がわいて、引き留めていたんだよ。」
 こりゃ面白いことを言う。あんなに造作なく、お前さんと向かい合ってたじゃないか。警戒心があればそんなことにはなるまいに。何かしらの下心あってのことではないかと、はしたない種の下卑た野次へと鼻先で嘲笑を返すところは、強気の御仁であるらしく。だが、
「そうさ、今思い出したが。さっきのお人とお前、夕刻もそぞろ歩いてはなかったか?」
「はい?」
 これには不意を突かれて、素の顔を晒す。
「下層へと連なる大階段の手前で、仲睦まじくも二人きり、雰囲気作って立っていたろう。」
 お前さんこそ、何でまたそんなややこしい場所にいたんだね。居た訳じゃあない、遠眼鏡でちょいと覗いたら見えたんだ。さあきりきり白状しなと、薄笑いを浮かべて言い出す相手へ、
「ああ、それは島谷ではないぞ。」
 別の方向からのお声がかかる。
「そやつ、今日は昼からのずっと、師匠の家で うてな殿を描いておったから。」
 あ、なんだ許婚者とご一緒だったか。四科展ヘの作品かね。そんなご納得の声が飛ぶ中、
「じゃああれは誰だったのかな。」
 首を傾げる仲間へと酔ったのかお前などという野次が飛び交い、座がドッと沸いてのそれから。だらしのない奴と笑われた相手が退いたため、やっと立ち上がれるとばかり。肴にされてた蓬髪の絵師殿、何とか解放されて自分の居た席へと戻る。羽織の袂から煙草入れを取り出せば、隣の席にいた朋友が煙草盆を差し出してくれ。目顔で謝意を示せば、
「さっきの別嬪、もしかしたら。」
 そんな口火を切ったから、
「何だよ、お前もなのかい。」
 さすがに今度はあからさまにうんざりとして見せれば、
「いやいやお前様への揶揄ではないさ。」
 くすすと微笑って差し出したのは、街や地方で起きた色々、事件の詳細から風聞までを冊子になるほど記して刷った読みもので。月別週別、様々なものが発行されているうちの、結構人気のある有名版元の最新の一冊。島谷と呼ばれたこの御仁も知らないものではなかったらしく、
「これがどうかしたのか?」
 新しいのだね、これはまだ読んではいないなとページを繰るのへ、耳打ちされたのが、
「ほれ、白紅道中記というのへ活躍を記されて、何かと話題になっておる賞金稼ぎがいようが。」
「あ…。」
 俗なものに関心があるのは野暮ったいと、そんな気障を言う奴も多かりしこの顔触れの中ででも、この話題だけは別格で。鉄砲や機巧なぞ一切用いず、その手に白刃ひらめかせ、悪党一派を薙ぎ倒すという、今時には珍しくも胸のすく話であったから。それは痛快な活躍を聞いては、壮大な絵物語に起こしたいねなんてな話も持ち上がるお人たちの話。それで、そんな短い言い合わせですぐにも意が通じ、
「ここの主人は元・軍人だそうで、その割に武勲や所属の話は誰も知らない。侍だって話しか広まってはいない。」
 それもまた、今時のご時勢からすりゃ野暮といや野暮な肩書だからかもしれないが、謎の多いところがまた、自分たちのような数奇者たちや趣味人たちからの関心を集めてもいて、
「さっきの別嬪、金髪に真っ赤な衣紋ってところがまんまだとは思わないか?」
 あれで背中へ双刀背負っていりゃあ、それは美麗なと謳われている、この賞金稼ぎの若い方のお侍の風貌と重なりしところがさも多く、
「もしやして。さっきのはやはり、この読み物の褐白金紅の賞金稼ぎではなかろうか。」
 そうかなぁと直接話した島谷とやらが、彫の深い目許を眇め、ちょいと怪訝そうに眉を寄せても、
「しかもしかも、ここの主人が割って入っていたろうが。」
 いやに興奮し、血気盛んに語気を弾ませる朋友殿であり。あまりの熱の入れように圧されて、却ってこっちが引いてしまうほど。それにさえ気づかぬまま、彼が続けた言いようはといえば、

  「もしやしてこの店は、
   ああいう賞金稼ぎが“つなぎ”を取り合う
   秘密の塒
(アジト)なのかも知れないぞ?」

  「…モリカワ、いいから酔いを冷まして来い。」

 興奮の余りに ぐっと握りし ぐうの拳も空しいぞと。ここでやっとのこと、現実主義者な部分が目覚め、島谷が朋友の肩をポンポンと叩いてやった。いくら何でもそりゃあ出来過ぎ。第一、賞金稼ぎといやあ、依頼の全部が全部がそうとは言わないが、人を斬ってナンボといういかにも物騒な商売ではないか。
“侍、ねぇ…。”
 戦さなんてな無粋なものが終わって、もう十年以上にもなるというのにね。世界を荒らすしか能のなかった軍人は、戦さが終われば無用の長物、よほどに要領がいい世渡り上手な者以外は、物の見事に職を失い食いはぐれ。侍たちの大半は、浪人と呼ばれる身分へと落ちて、野伏せりになったり用心棒になったり、およそかつての華々しさ雄々しさとは掛け離れた地位にまで、一気に引きずり降ろされて久しいご時勢。その賞金稼ぎという輩だとて、太刀さばきの鮮やかさから察するに、そんな侍の成れの果て。きっとかつかつの生活を余儀なくされての殺気立ち、少なくとも先程の若者のように、瑞々しくも余裕のある、麗しき風情でなんて居られまい。

 「…。」

 ポン、と。吐月峰へ煙管の口を軽く叩いて、灰を落としての新しいのを詰めながら、先程の若いのから仄かに香った甘い匂いを思い出す。あれは髪に使う椿油の、それも上等高級な逸品の香ではなかったか。そんな洒落者が、人斬りだって? 口元へと浮かんだ笑みが、馥郁とした煙草の香のせいか、それとも滅多にない謎めいた邂逅への余燼が齎した甘さかは、彼自身にも断じることの難しいところ。





  ――― ただ。


 「あの男、煙草の匂いがしたから、それもあって島田似と気がつかなんだのだ。」
 「はいはい。ほ〜ら、お湯かけますから、お耳を塞いでくださいな。」
 「ん…。」


 世の中にはいろんなお侍さんが居るのだ、島谷さん。
(苦笑)







            ◇




  ――― 私は、もしかしたら。
       あの大戦がもっと続いてほしかったのかも知れません。

       そうすれば、
       戦艦ごと撃墜されてのひとからげで、
       誰にも迷惑をかけぬままに死んでおれたかもしれない…。








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  *な、何だかよく判らない段落となりましたな。(苦笑)
   まま、ウォーミングアップだということで。

  *…で、島谷センセーの後日談と言いますか。→ 『十年ひと昔